記録を残すきっかけ

備忘録を書き始めるきっかけとなったのは、ヒッチハイカーを車に乗せたことがきっかけでした。


2014年 12月29日 タイ王国クンユアムの街の外れで、日本人2人が大きなリュックサックを背中にしょって、手を上げているのを見つけました。そこで我々の車に乗せることになり、少しばかりの旅の同道を致しました。


それがきっかけで日本へ帰国後、お互いのメールの遣り取りが始まり、ヒッチハイカーからの旅の備忘録を頂くことになりました。


私は、その備忘録を読ませて頂いた時に、我々側の旅の理由、何故我々はタイ王国の辺境にいたのか等を書いて、同じように備忘録を送ることを軽い気持ちで思いつきました。


メールにて我々側の旅の備忘録を送った後、目に見えない日本の兵隊の幽霊との活動を書くべきではなかったと後悔と反省をしたのを覚えています。


理由は、いくつかありますが、第一の理由は、馬鹿げた話だと思われるだろうと思ったからでした。私自身も話を聞く側の立場であれば、バカバカしく聞き流したであろうし、妻から、この日本の兵隊の幽霊の話を聞いた時、『怖っ』と冗談っぽく聞き流していたからでした。


しかしながら、日本の兵隊の幽霊からは、その馬鹿げた話を事実として受け止めて欲しく、そして、彼らが亡くなった海外の戦地から日本へ帰国の為に迎えに来て欲しいという押しの一手で語りかけてきました。


戸惑いながらも、私は、妙に腑に落ち、全てを受け止め、ずっと、英霊と呼ばれる日本の兵隊の幽霊の帰国への動きを助けるべく、活動を続けています。


たとえ、他人が暴言を吐かれても、亡くなった兵隊さんたちを連れて帰る行動を取らないと、ずっとそのまま、戦地に残ることになり、兵隊となって海外の戦地へ向かった日本人の第二次世界大戦は終わらないままになるからです。


だから、今現在は、13回まで続けています。


少し、脱線致しました。この備忘録を書くきっかけの話に戻ります。


ヒッチハイクをされていた方からの返信メールが返ってきました。すると、意外な言葉でした。


『是非、この旅の記録を備忘録として、残して下さい』というアドバイスと共に、この奇妙な話を受け止め、非常に感銘を受けて下さっているような返信内容でした。


それから、6か月、撮影していた写真を基に、記憶をたどりながら、備忘録の書き残す作業に打ち込みました。


そして、出来上がったのが、現在の備忘録・記録でした。


私の旅の備忘録なので、ちょっといかがかなとは思いつつも、兵隊さん方の想いを、少しでも感じ取って頂き、戦争の悲惨さを別の角度からも見る機会を提供出来ればなと思います。


妻が初めに聞いた言葉がいつも引っかかっています。


『日本の人々に我々がここで亡くなったことを伝えて欲しい』


決して日本語ではなく、テレパシーとして伝わってきたものですが、文字化させて、この想いを書かせて頂きました。


目に見えない世界というのは不思議な世界です。


何故、皆さんは、手を合せ、神社仏閣に訪れるのでしょうか?


何故、皆さんは、自身の御先祖様の墓地へ伺い、花を手向け、お供え物を置き、手を合せるのでしょうか?


その延長線上に見えない世界と関わってしまった我々の活動が存在しています。


では、そんな目に見えない奇妙なお話を読んで頂ければ、幸いです。


これを持って、備忘録を残すきっかけとなった説明と御挨拶とさせて頂きます。


著者より