想いでのクンユアム餅
”引用文 ちゃーお 2015年8月10日より”
クンユアムのお餅
朝、日本兵の兵舎に軽やかな歌声が響き渡る。果物や菓子を運んできた商人たちの歌声は、「食べ物が来たよ」という合図だ。商人たちは毎朝、実にさまざまな種類の果物を兵舎に持ってきた。バナナ、みかん、サトウキビ、パパイヤ、グアバなどだ。また、果物に限らず、庭に生えていた野草でも、食べられるものなら日本兵は全て買ってくれた。また、カボチャや芋類などで熟し切っていないものは、衣をつけて油で揚げたり蒸したり、タイヤイ風のお菓子にして売っていた。日本兵が愛したものが、「クンユアム餅」だ。
このお餅は、戦時中、クンユアム郡全土の日本兵の最も人気のメニューだった。戦後50年(本文執筆時での年数)が過ぎた今でも、かつての日本兵たちが当時をしのんでクンユアムにきてくれるが、村人たちは決まって、そのころ日本兵が好きだったお餅を、作ってもてなす。いわば、「この味を覚えているか?」という挨拶だ。日本からの客人たちもちゃんと覚えていて、日本語で「オイシイ!」と言ってくれる。そして昔話は、お餅の話題でまた盛り上がるのだ。かつての言い尽くせぬ艱難(かんなん)の日々に思いを馳せ、目に涙を浮かべる者もある。忘れられない思い出だ。
村人たちの口から流れ出る当時のイメージは鮮やかで、まるであの戦争が昨日のことだったかのようだ。年齢は、日本人もタイ人も70歳以上(本文執筆時での年齢)であるが、みな生き生きと、かわるがわる当時の思いでを語る。その中にいたパーンさんは、かの「クンユアム餅」を日本兵に売っていた商人の一人だった。
「ポーンシラー、ノーンパーゴー、フェイパームン、フェイトンヌン、トーペーなど、各地の日本兵の宿営地はもちろん、ワット・ムエイトーの病院や、日本兵が居住していた民間人の家庭、駐屯地の小隊、所構わず訪れては、お餅を売っていたよ」
パーンさんは私たちに、「クンユアム餅」の思い出を話してくれた。
「日本兵の基地では、朝の10時頃から売り始めていたよ。特に病院は、本当によく売れた。負傷兵たちはお金をほとんど持っていなかったけどね、軍が兵士に色んな物を支給してくれるから、兵士はそれを食料と交換していたんだ。
でも、戦争が終わるころ、病院は日本兵で溢れ返って、もう食べ物も、何もない。最後はそんなひどい状態だったよ。
私は兵士からもらった物は外で換金して、また食料の調達をしていた。そのうち、日本兵の物資の買取業者なんてのも出てきて、物資がタイ人の間で流通するようになっていたんだ。日本兵は私たち村人に、簡単な日本語を教えてくれたよ。「たばこ」、「バナナ」って。バナナは英語と同じだね。
あるとき、ワット・ムエトーの病院に、お餅を作って行ったんだ。そしたらそれを見た兵士が、「餅だ!!餅だ!!」って騒ぐんだよ。私もそれで、兵士の担架まで近づいていった。兵士はこのお餅をじいっと見つめるんだ。でも買うお金がないだろ。それで兵士は、本当に可哀想な声で「サーウィット―」、「サーウィット―」って言うんだよ」
私はその意味が分からず、パーンさんに尋ねた。どうやらその兵士は「食べさせてくれ」という意味で言っていたらしい。パーンさんは、話を続けた。胸が張り裂けそうになるほどの、悲しい話だった。
「それで一人の兵士がお餅を買ったんだ。兵士は餅を食べて、包んであったバナナの皮を、ポイとそのへんに捨てた。そしたらもう一人の兵士が走ってきて、そのバナナの皮を拾ったんだ。バナナの皮には、重しについていたサトウキビの汁がまだ残っているだろ。兵士は、そのわずかなサトウキビの汁を一生懸命なめて、きれいにすっかり全部なめたんだ。それが、1度や2度じゃなかった。そしたら私も、兵士たちが本当に可哀想になってきてね。たまにはタダで配るようにしたんだ。普段ちゃんと売ってるから、たまにタダで配っても、それで赤字ってことはなかったからね。でも日本兵は、これだけ飢えていても、絶対に盗みはしなかったよ。人の餅を取ったり、人を傷つけたりもしなかった。彼らはただ「くれ」って言うだけで、もらえなかったから諦めるだけだった」
私はパーンさんのこお話を聞いて、「当時日本兵が愛したというお餅とは、一体どんなもの・だったのだろうか?」と興味を覚えた。これだけ豊富な種類のお菓子がありながら、なぜお餅だけが、ここまで愛されていたのか。それはナコーンサワン県で作られている「カノム・モーチ(大福のようなタイオリジナルの菓子)」のようなものだろうか?それとも、日本兵の誰かが日本の餅の作り方を教えたのだろうか?日本のお餅とは、どれくらい似ていたのだろうか?料理として現在も価値のあるものなのだろうか?・・・と。
答えは意外にも、「カーオ・ヌック・ンガー」のことだった。クンユアムを始め、北タイの上部(チェンマイ・チェンラーイ・メーホンソン・ランプーン・ランプ―ンの5県を含むエリア)では、昔から食べられていた定番の郷土菓子だ。チェンマイなどの都市部では、「カーオ・ヌック・ンガー」と呼ばれるが、クンユアムでは縮めて「カーオ・ヌック」と呼んだり、または「カーオ・ブック」、「カーオ・ンガ―・キーモン」等、様々な呼び名がある。
持ち米をこねて蒸し、七輪で焼いたものに、蜂蜜やサトウキビの汁などをつけて食べる。もち米に黒ごまを混ぜるため、餅全体が黒色になる。これが、日本兵たちの間で「モチ」または「クンユアムモチ」と呼ばれていたものだ。
このクンユアムの餅「カーオ・ヌック・ンガー」は、他の北タイの街でうられているものとは一味違うクンユアムのオリジナルだ。先の戦争の間、クンユアムにいた日本兵の誰もが食べ、数々の食品の中で群を抜いて最も愛されていたお菓子なのだ。