第3回目:ミャンマーの中央部 マンダレーへ 2012年 8月
未だに帰国を待つ多くの兵隊たちが待機するマンダレー
1:まだ続くかもしれないという予感
2012年は、朧気ながらこの慰霊というか日本の兵隊方からの日本への帰還依頼が続くのではないかと思い始めた年でもあった。これは単純な、誰もが持つ予感のような感覚だと思います。普通なら1年目のタイ王国での帰還依頼で全てが終わったと思いますが、2年目の夏はミャンマーまで呼ばれたせいか、何となく、また何処かへ続くのではないかと、心の中で考える自分がいました。しかし、まだこの時点ではインパール作戦そのものについてもよく知らず、呼ばれたとしても昨年のように上手く日本の兵隊方の待つ場所に辿り着く事など私には出来ないという思いもありました。2011年の2回目が終わった時点ではあの場所に辿り着けたことは奇跡そのものでありましたし、あのような極度の緊張感(日本への帰還依頼を無事全うすることが出来るかどうかというプレッシャー)はもう感じたくないと思っていました。改めてこれでタイ王国とミャンマーという2つの国を跨ぎ、我々なりの慰霊活動を終えた事で、もう我々の元には日本の兵隊方は来る事はないだろうと、終息したと思い込むようにしていました。
2:日本の兵隊となって闇夜を走る
2012年5月、昨年の6月と比べると1ヶ月早く、出来事は起こった。新たな日本の兵隊方が同じように日本に帰国したいと連絡を取ってきました。今回は映像が多く、身を隠しようがない平原を夜間に移動している男性の姿が見えた。気が付けば、その兵隊さんと共に私も一緒になって走っていました。辿り着いた場所には横たわる日本の兵隊の亡骸が一体ありました。そう、今回の日本への帰還依頼をしてきた彼の姿でした。敵の攻撃を回避する為に夜間移動していたのだろうと思います。場所は自然とわかりました。マンダレーだと思いました。しかし、あまりにも漠然とした映像。このような映像と頭に浮かんだマンダレーという街だけの情報で私はミャンマー中央部まで行かなければならないのかと少し悩みました。が、その後も似たような映像をたくさん見せられたので、徐々にその気になっていきました。
妻と話し合った結果、昨年同様、今年も同じ旅行会社にお願いし、昨年のガイドを手配して貰おうかという事になりました。彼も我々の奇妙な活動と経緯について理解していたので、寺院での我々の姿や昨年の日本の兵隊との合流場所シッタンでの姿を見ていたので話が早いだろうという事からでした。早速、タイ王国チェンマイにある旅行会社に旅の手配を依頼しました。目的地はマンダレー、個人旅行として。それに応じた旅行プランを計画してもらいました。途中、バガンという仏塔の景色が素晴らしい場所にも訪れる事になりました。
ツアーを依頼した旅行会社に立ち寄る
両替所
今回は、1年目にお世話になった日本のH寺ご住職には連絡をしないことに決めました。お坊様はお盆の時期、大変忙しく、催事が多いことを学びましたし、我々の都合もそうですが、日本の兵隊方の帰還依頼の動きに対応した行動をとると、どうしてもご住職や他のお坊様にもご迷惑をかけることになり、私自身も非常に心苦しいので、この日本の兵隊方をお迎えするのは日本の兵隊方の段取りというか見えない世界からの不思議な流れに任せるのが一番良いと考えました。そうすれば、誰もが役割があり、必要な時、可能な時に参加出来、力を発揮出来るのではないかと思うと腑に落ちることが出来ました。
3:再び ミャンマーへ
毎年の恒例で子供の夏休みが始まると、先に妻と子供がタイ王国チェンマイに向かいました。私は例年通りにお盆前にタイ王国チェンマイで合流し、そこからミャンマー・ヤンゴンへ向かう事になりました。今回は昨年と違い、ガイドも知っている人であり、ヤンゴン市にあるバラミー寺院ご住職と知り合いになった事で不安な気持ちは解消されていました。知り合いがあちらの国にいるというのはやはり精神的に少し楽に感じました。
8月某日お盆に向けてミャンマー・ヤンゴンに向かって飛び立ちました。チェンマイからヤンゴンまでのフライトは非常に短くフライト時間は1時間程度、まさに国内線の飛行機に乗っているような感覚でした。ヤンゴン空港に着くと、昨年お世話になったガイドさんが待っていました。1年ぶりの再会に自然と笑みがこぼれました。
ミャンマー ヤンゴン国際空港
今回はミャンマー国内の飛行機移動という事で、私にとっては、未知なる国ミャンマー国内に奥深く入っていくような気持になりました。ヤンゴン市内での観光は昨年とそれほどの違いはなく、シュエダゴンパゴダを訪れた際は『今年もミャンマー国内で日本の兵隊の御霊を日本に連れて帰る動きを許可して下さい』とミャンマー国内の土地神々様にお願いを致しました。
早速、次の日からバガンへ移動しました。バガンは見渡す限り平原で数え切れない程の仏塔が立っていました。夕方前に背の高い仏塔の頂上付近まで登り、夕日が沈むのを待っていました。その年は民主開放された年という事で多くの観光客が訪れていて、多くの日本人観光客の姿も目にする事が出来ました。目の前に広がる夕日と仏塔。まさに幻想的な風景でした。ここでも手を合わせ、日本の兵隊方の帰還を祈念致しました。
仏塔に上る階段はかなり急こう配で手すりを握らないと危険
その夜はミャンマー現地の人形劇や踊りを見せてもらいました。とても古めかしい空気が流れていて、現代の日本を生きる私にとっては少しつまらなく感じました。しかしながら、国は違えど、侍が居たような時代では日本もこのような感じであっただろうと思いを巡らせると、劇そのものよりも、その雰囲気を楽しめるようになっていきました。夜は現地のタイレストランで食事となりました。席に着くと、お隣に日本人男性が座っていました。女性ガイドが付いていて彼女は以前、東京に日本語の語学留学をしていたそうでした。旅は道連れではありませんが、ミャンマー人ガイドと日本人男性と共通言語の日本語を通して、ミャンマー・バガンで楽しく会話をする事が出来ました。日本人観光客の男性は伊豆から来ていたようでした。食事を終え、ホテルへ移動。何事も無く眠りに就きました。
4:日本で見せられた風景がそのまま目の前に
3日目、バガンからマンダレーに移動。マンダレー空港に着くと、新たなドライバーさんが待っていました。車は日本車で乗り心地が良かった。大きなバンにドライバーを含めて4人。なんとも贅沢な空間でした。空港を出て、車がマンダレー市内に向かい始めると、鳥肌が立ちました。目の前に日本で見ていたものと同じ風景がそこにありました。思わず声が出そうなぐらい鳥肌が立ちました。『頭の中に浮かんだ場所そのものはいったい何処なんだ』と食い入るように見ていました。しかし、日本にいた時に見た風景の場所をピンポイントで見つける事が出来ませんでした。が、ある方向から日本の兵隊方の気配いうか呼び寄せる思念を強烈に感じ始めていました。『いったいあちらの方向には何があるのだろう?』 妻を通してガイドにその方向に何があるのか聞いてみました。すると、サガインという町がありますという事でした。私はそこに行けば何かあると思っていました。これだけ多くの気配と呼び寄せる力の強さを感じる方向なら、きっとそこに多くの日本の兵隊方が待っているに違いない。おそらくは今回はそこに行くのだろうと意気込んでいました。
マンダレー空港から街へ向かう道中の景色。日本で見ていた風景と同じだった。
5:追いかけてきた複数の日本の兵隊
1時間ほど経過した頃、マンダレー郊外にあるアマラプラという観光地へ向かっているようでした。大きな湖の中央を跨ぐウーペン橋が有名でそこへ立ち寄る予定でした。道は狭く左右に多くの露店が並んでいるのが見えました。すると道路がカーブになっている所で頭の中に映像が流れ込んできました。そこには、座っている者、歩いている者、全てが日本の兵隊方でした。その時はただ一人でその映像を頭の中で見ていました。そして、我々の乗る車がその場所を通り過ぎると、走行中の我々の車に向かって、その兵隊方が追いかけてきました。私は一人驚き『どうすればいいんだろ』と焦っていると、妻も日本の兵隊方が追いかけてきた事に気が付いたようでした。そして、ミャンマー人ガイドも異様なプレッシャーが追いかけてくるというその異変を感じたようで、妻と私に顔を向け、『これは何ですか?』と口を開きました。私は『通り過ぎたカーブの所で日本の兵隊方が居たようだよ』と言うと、ガイドの顔は青ざめていました。このミャンマー人ガイドの驚いた表情に私は驚かされましたが、ガイドもその異変を感じるくらいの出来事でした。日本の兵隊方は我々を見つけ、『日本に帰れる、置いて行かないでくれ』と追いかけてきたようでした。興奮冷めやらぬ我々でしたが、ウーベン橋を見てから、その場所に戻ることにしました。そこはちょうど現地で有名な大きなお寺の前に近い場所でした。車をお寺の中に駐車すると、日本の兵隊方が集まってきて、日本に帰りたい旨を伝えてきました。妻は『大丈夫。みんなで一緒に日本に帰りましょう』と彼らを宥めるのでした。そのままお寺に入り、お布施をして日本の兵隊方の為にお経を上げて頂けるようにお坊様にお願いをしました。正直、あまりの速さの展開に唖然としました。と言うのはマンダレー空港からマンダレー市内への移動中に感じた日本の兵隊方の我々を呼ぶ思念が気になっていたからでした。あまりにも強く、身体が無意識に引っ張られそうになってしまったことを思い出しました。何にせよ、『ここで日本の兵隊方とお会い出来た事は事実であり、少し首をかしげる事があっても、これで上手くいったのだから』と思い込ませるように自分に言い聞かせることにしました。そうと決まれば、その日、後の事はもうどうでもよくなり今回の帰還依頼をしてきた日本の兵隊方との合流、お迎え地点に来る仕事を終えたのなら、ホテルへ行き、ゆっくりしたいなと思いました。
しかし、サガイン方面の日本の兵隊方の強い思念が時折気になり、モヤモヤしながら、そのままマンダレー宮殿に行ったり、マンダレーヒルにて夕日が沈むのを見に行きました。マンダレーヒルに行く際に、途中、慰霊碑が建てられているのが視界に入り、移動中の車から手を合わせるだけに留まりました。頂上からの景色は絶景でマンダレー宮殿を見ることが出来ました。なんとなく、今年の日本の兵隊方との合流と依頼は全うした気分になってしまい、サガイン方面の日本の兵隊方の思念の存在を気にしながらも今年はこれで終わりだと忘れることにしました。終わりだとする理由は旅行会社が組んでくれた限られた日程でのツアープランが変更出来ないことが一番の要因でした。もし、私が自由人でお金があれば、まだまだ先へサガイン方面に行きますが、なかなか1回の旅で全ての依頼を引き受けるのは無理がありました。
ホテルに帰る迄の間、ミャンマー人ガイドは我々の旅に対し、プロに徹していましたが、どうしても自分の過去の経験について話したくなったようでした。昔、ブッダリリックを頂き、部屋に置いていると、突然光だし、怖くなって、部屋から逃げようとした話を興奮して我々に話しました。クールな印象のそのガイドは完全に我々に心を開いているようでしたが、プロとしての自分とそれを越えたお付き合いの関係で出せる自分とのハザマで戸惑っているようにも見えました。
マハーガンダーヨン僧院の手前で日本の兵隊さんが座っていたり、歩いているのが見えた。一瞬、どうしたらいいかわからなかったが、通り過ぎた我々の車に追いかけてきて非常に驚いた。怖いという感情は無く、どうしたらいいのかということばかり考えていた。
マンダレーヒルからの眺め。兵隊さんからのお願いでこんな遠い所まで来てしまったという思いで綺麗な風景を感慨深く眺めていた。しかし、世の中には不思議な出来事があるんだなと思いふけりもした。
マンダレー宮殿方面
5:御礼のご挨拶
マンダレーのホテルに到着。立派な装飾が施されたホテルでしたが、少し古臭さを感じました。チェックインを済ませ、次の日の打合せをしてガイドさんと別れました。部屋は5階にあるという事でしたがエレベーターも無く、自分の足で上がるほかなかった。ホテルスタッフは我々の荷物を持って上がるのでもっと大変そうでした。最後の階段を上がっていくと、廊下の照明が消されていて、階段を上がりきった所に我々の部屋があるようでした。妻は私の方を見て、困惑の表情を見せていました。私ももちろん、気持ちが悪いなと思っていましたので妻の気持ちがわかりました。5階には他に誰も滞在していないのが雰囲気的にわかり、まず、廊下の奥まで真っ暗で何も見えないのが何とも言えない気持ちにさせられました。ひょっとして階段の照明で我々の部屋のドアの前までの照明を補っているって事なの?と苦笑しましたが、ホテルスタッフに文句も言えず、案内されるがままに、部屋に入ってしまいました。おそらく、日本の兵隊方と無事に合流する事が出来、ホッと気が抜けたからかもしれません。
部屋に入り、2人きりになると、部屋の中を見回しました。豪勢だが、古びた感じは否めなかった。部屋の広さは申し分ないのですが、無駄に広いという感じがありました。ただ建築した当初は素晴らしかったのではないかと思わせるような名残がありました。兎に角、初めてのマンダレーという事で『こんなものなのか』と納得するようにしました。部屋にはエアコンがあるがあまり効いておらず、ちょっと蒸し暑いくらいに感じていました。wifiの電波も当然のように無くロビーに行けば電波はあるということでしたが、チェックインした際にロビーに居てもネットの速度が遅く、インターネットは期待出来ないものと思っていました。妻は部屋に入ってから、ずっとソワソワしていました。何かおかしいと言い始め、私もその感覚を理解することが出来ました。確かに大きなホテルにしては5階には我々だけが滞在している様子でした。嫌なことは考えたくないが、開かずの間ならぬ、開かずの階?と冗談で思っていましたが、本当に怖くなったのであまり考えないように努力をしました。一日の疲れを癒すため、早速シャワーを浴びる事にしたが、男の私でも何だか気持ち悪い感じがしました。ひょっとして誰か後ろに立っているのではないか?と思うくらいのたくさんの気配を感じていました。妻がシャワーを浴びる時、私にドアの前に待機するようにお願いされました。妻も同じように感じていたようでした。『浴室の扉を開けたまま、シャワー浴びてもいいかな?』と言うので、『たいそうやな』と言いながらも妻の気持ちがわかるくらいの気配でした。シャワーを終え、部屋にいづらくなった妻は1階ロビーのwifi電波を捕まえてくると言い始めました。一緒にロビーに行こうと誘われたが、また5階の階段を上り下りするのは面倒だったので一人で行くように言いました。
妻が1階へ下りていくと、私はベッドの上に横になりました。横になってじっとしていれば、この部屋の室温に順応し、暑く感じないだろうと思ったからでした。目を閉じ、しばらくすると、足元に多くの人の気配が集まるのを感じ始めました。恐怖感は最高潮に達し、どうしても目を開ける事が出来ませんでした。『無視、無視』と思っていると、誰かが話しかけてきました。なんとその多くの気配は日本の兵隊の皆さんでした。我々に御礼を言いに来たのでした。気配の正体がホテルの見知らぬ幽霊ではないとわかると、一気に気持ちが楽になりました。『気にせんとって。とにかく、無事、会えて良かったわ。皆で帰ろう。やっと日本に帰国だよ」と私は話しかけました。彼らの状態というのは長い間待っていたせいか、かなりどんよりとした重いものでした。彼らが日本へ帰る事で、きっと明るく軽いものに変化していくのだろうと思うと、私は嬉しくて先ほどまでの恐怖心は薄れていきました。しばらくすると、妻が部屋に戻ってきて、まだ部屋に気配を感じる妻はベッドの横で寝ている私に起き上がるように執拗に迫りました。きっと怖かったのだろうと思います。妻にこの気配の事情を説明すると、不機嫌そうでした。『ここはプライベートな部屋です。兵隊さん達がここにいるのは嫌です』と少し怒り始めていました。その考え方には私も同感でしたが、それ以上に私は日本の兵隊の皆さんと一緒に日本に帰れる喜びの方が大きく、部屋にいる彼らを追い出そうという気持ちにはなれませんでした。が、妻は見えない彼らに向かって、妻の思うことを伝え、部屋を出て行くように話しかけていました。すると、部屋の中にあった気配があっという間に消えました。私は思わず部屋の雰囲気というか空気の違いに驚きました。それは物理的にもわかるもので、彼らが居た時、居ない時の室温の違いでわからせてもらいました。先ほどまでは部屋が蒸し暑く、どうしようもなく寝苦しかったのですが、一気にエアコンが効いて部屋が涼しくなったのです。なんとも不思議な現象でした。あまりの変化に驚きながらも室温が下がり、寝苦しさが解消され、すぐに眠りに就く事が出来ました。私はそのまま朝まで熟睡し、身体も楽になりました。が、妻はそれでも恐怖心が残っており、私に先に寝るなと何度も声を掛けてきたようでした。
翌朝、朝一番から観光でしたが、私にとってはもうどうでもよく、一日も早く日本へ帰国したい気分でしたが、妻は観光気分真っ盛りになり、あちこちとガイドに連れて行ってもらいました。夕方にはマンダレー空港から再びヤンゴンへ戻り、ホテルに到着。次の日はバラミー寺院で日本の兵隊方の為にお葬式(施餓鬼供養?)を行って頂き、その後、我々の為に労を労うかのように食事を御用意して頂きました。その後はヤンゴン市内でサクラタワーの最上階で高層階からの景色を楽しみながらコーヒーを頂いたり、マーケットで布地を買ったりと一日観光をして、タイ王国チェンマイへ戻ってきました。こんな楽しみが無ければ、我々の旅は素っ気ないものになるし、そのくらいのご褒美はあってもいいのかなと思うように心がけました。とは言え、こういう時の男性は荷物持ちや妻の警護と何かと仕事が多く、最後まで楽をさせてもらえないのが常でありました。
最後の観光・ショッピングを振り返ると、この時は観光時間がすごく長く感じ、精神的に苦痛でしかありませんでした。記録として、端折りたいぐらいです。が、この時の経験が5回目以降に活かされましたし、6回目のモンユアへ繋がることになりました。しかしながら、日本の兵隊方との合流と部屋に来た彼らの御礼の瞬間はとても印象深く、今でも良かったと思える旅でした。皆さん、無事、帰国されて安心致しました。帰国後、日本の食事を彼らの為に用意し、その後は、各々、希望の場所へ帰郷されるように促しました。これ以上、H寺ご住職の手を煩わせることも出来ないので相談せず、我々で彼らに以上のようにご説明させて頂きました。が、無事、多くの日本の兵隊が帰国されたことは本当に良かったなと思います。
マンダレー宮殿 ここでも日本軍が陣営を張っていたようだ。たしかイギリス軍の空爆にあった場所でもあったと思います。
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